阪神淡路、中越、福岡西方沖、岩手宮城、東日本とを経て、国やボランティア団体による
復興支援体制は少しずつ整ってきました。
しかし、北崎通信局としては、貴重な支援の体験をさせていただいて、一つだけ心残りなことが
あったのです。
それは、避難所に入ることができない方たちの支援でした。
幸い、北崎地区は町内会の連携で、避難所だけでなく在宅避難をなさっている方たちの
フォロー体制も整っていたように感じます。
被災の範囲からいうと、まったくスケールは違いますが、被災の状況は同じです。
その後、東日本でも大変悲しい現実がありました。
家庭の事情で、避難所に入りたくても入れない方々
津波で家を流された方と、かろうじて家は残った方
救援物資その他の支援を受けられない
被災者同士のわだかまり
あれこれ見聞きしました。
その中でも、
お年寄りがどうしても家を離れたがらない
そうです、北崎でもありました。
「この家で死にたいから、放っておいて」
何度説得してもダメでした。
壊れかけた家と余震の中、年寄りを置いてはいけない。
家族は畑やハウスの後片付けなど、することはいっぱいあったのです。
要介護の身内を自宅で介護している
持病があって、不衛生な避難所生活では命を縮めそう
いつ壊れるかわからない自宅で、怖い中でも動くに動けない
そんな方たちは、支援物資や炊き出しの情報も入りにくい
ペットボトル二本を貰うために、二時間も三時間も並ぶ
そんなに家を空けられない
備蓄がなくなってしまって、支援物資を分けてもらいたいけれど
在宅避難だと、貰いにくい
おにぎり二個に三時間も並ぶのだそうです。
私たちの仲間は、限られた備蓄の食品を困った方に分けて上げて
自分の分も底をついてしまった。
買い足すにも買えない。
ほうれん草も、たった三本で一束!?
値段もどんどん高くなっていく