北崎通信局

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少年時代

c0033992_19541226.jpg今回のFSUNメルマガは、北崎通信局にコメントをいただいているMr.Tの少年時代がテーマでした。
〈3丁目の夕日〉さながらの、昨日撮影した夕日を眺めながら読んでください!
ちなみに私は、お腹を抱えて泣き笑いでした。
この続編を期待しているのは私だけではないかもしれませんね?



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【1964年から1965年の少年T】
 1964年、昭和39年に小学校入学。
晴れあがった秋の空を見あげると、なぜか
東京五輪の時の空を思い出す。
2016年東京五輪!の声が高まる中、
1964年の少年Tにタイムトリップしてみたい。
11月になっても少年Tは、東京五輪の感動が
消えずにいた。
少年Tは、学校から帰るといつも決まって部屋
に篭った。
“東京五輪の記念切手シート”群と“東京五輪
の記念絵葉書セット群”それに爺に買ってもら
った“夢の新幹線、超特急新幹線ひかり号“の
記念切手シートを見飽きるまで眺めるのであっ
た。
”新幹線”とか”ひかり”などと呼ぶのは、この
時の少年Tにとって、宮様をご尊称なしにお呼
びするくらいに許せない感覚である。

 少年は、いつも兄の勉強の邪魔をするというの
で、専用に6畳間の遊び部屋とテレビをあてがわ
れていた。
学業に期待されていないので、決して勉強部屋と
よべない。
少年は、よく学校を休んだ。すこぶる元気で病気
などではない。
学校以外にも忙しいのだ。「世界の爬虫類展」とか
「世界の昆虫類展」、12月になれば冬休み映画や
サーカスなど、休暇まで待てないのだ。
看板で誘惑されると、すぐにタクシーを拾い、叔母
のレストランに行き支払いをさせる。

小遣いを貰い映画館の入り口まで送ってもらう。
腹が減ると公衆電話からレストランに注文をして
ランチを届けさせる。
終わると叔母に迎えにきてもらい、レストランで、
“洗濯ばあさん”と“飯炊きばあさん”の口止め用
のテイクアウトを作ってもらう。
あとは、学校の前までタクシーに乗って、学校方
面から帰る。
帰宅したら、買収用の土産を「お孫さんに」といっ
て渡せばよいのだ。
川学校や山学校の日は、給食と口止め用のお土
産が無くて困った。

 ある日、担任教師がキレた。「お前みたいな子は、
学校にこなくてもいい!」
少年Tは、「ヤッター!」。なんていい先生なんだろ
う、心から感謝した。

少年Tは、部屋いっぱいに広げた鉄道パノラマや
コンバットのジオラマの完成に時間が無くて困って
いた。
1週間たち、2週間たち、学校にゆかなかったら、
担任がご機嫌伺いに来たが無視した。その後、校
長が交渉に着たが、相撲に凝っていたので、校長
と毎日相撲をするのと校長室に通うだけでよいこと
で合意した。

校長も相撲好きで、まわしをつけて相手をしてくれ
た。
少年Tは、“けたぐり”や“さばおり”を子供相手にす
ると嫌われるので大人相手に相撲がしたかったの
だ。

その後、あまり学校を休まなくなったが、10日間く
らい心の病で休んだことがある。

鉄腕アトムが、地球を救うために、ロケットに乗り
衝突.、真近な惑星にぶつかって死んでしまい、
辛くて学校に行けなかったのだ。
鉄腕アトムが、死んでしまったのに、皆のように
平気でいられなかった。

暫くは、部屋に手作りで鉄腕アトムの祭壇をこしら
え喪に服していた。
小学生のとき、一番、辛かったのは鉄腕アトムが
死んでしまったことだった。

ただのロボットなのに。
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by hanataikoku | 2005-11-19 19:59 | 番外編です!