北崎通信局

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北崎の歴史を語る①

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(栄西が)
建仁寺造立に関して、おもしろい逸話が『節用集』にのっている。
おおぜいのものが、
「どんな掛け声で、木材を曳いたらよかろうか」
と評議していると、
「わしの名をよぶがよい」
と栄西が指示をした。そこでみんな、
「江伊左伊!也宇佐伊!(エイサイ!ヨウサイ!)
と掛け声をかけてひっぱると、巨大な材木はなんなく動いていった。
 いま、世上の土木工事で使われる、
「エイサー!ヨウサー!」
の掛け声は、この造営工事にはじまったという。
もっともこの掛け声の伝説は他にもあって、



たとえば筑前糸島・唐泊の漁師達は、その地に東林寺をひらいた
栄西の徳をしのんで、
「ヨーサー!ヨーサー!(ヨーサイ!ヨーサイ!)」
と網を引くとも伝えられている。

               宮脇隆平著〈栄西ものがたり〉より

二度の渡宋、彼の地でいろいろな建造物の建立や修築に力を注いだ
栄西ならではのエピソードだと思いませんか?

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文治3年(1187)4月、間近に六和塔がそびえる杭州臨安港に着いた
栄西は、当初の目的であるインドの釈迦如来の八大霊塔巡礼の願い
が叶わず、奈落の底に突き落とされます。
「鬱々として亡するが若き」(『元亨釈書』)
煩悶する栄西に残された選択肢は帰国しかありませんでした。
船に乗って3日目、嵐に見舞われ竜王に祈る栄西。
そこで奇跡が起こります・・・

浙江省東南の漁港・瑞安にたどり着き、
天安山の万年寺、そして天童寺への
行脚。
建久2年臨済宗黄竜派の禅を日本に
持ち帰る栄西は、激しい風の中平戸
に着き、さらに博多の海を目指します。

 心地よい潮風は、まさしく祖国の風だ。
 みどり濃い筑前の山河が、栄西を甲板に立たせたまま飽かせない。
 やがてまた、船体にふれるほど近づいてきた糸島の北端・蒙古山を
 面舵いっぱい旋回すると、もうそこは波静かな博多湾だった。

 船は風待ちの港・唐泊にとまった。
 物見櫓の知らせを受けたのだろう、うしろの灘山からおりてきた漁民
 たちが、海中の碇石と呼ばれる巨像のような岩石に、しっかりと縄で
 船をつないだ・・・





*左が糸島半島の北端、北崎。
 真ん中が柱島。
 右側が玄界島です。

『筑前国続風土記』には、
「『東林寺(禅宗済家)』唐泊山と号す。唐泊村にあり。
栄西帰朝の時此浦に着て宿せしが、ここに寺を立てたり。
則此寺也といへり。小高き山に立たる寺なれば、遠望朗かにして
佳景の地なり」という記事がある。

地元の伝承では、栄西はただ一軒あった宿屋に旅装を解き、その
あとが寺になったのだという。
唐泊はその昔韓亭とよばれ、三韓と往来が盛んであった頃には、
朝貢の使者がとまる亭があった。
栄西が荷をおろした宿屋はその跡かも知れない。
また、『筑前国続風土記拾遺』に記された東林寺十境の一つ、
楽神廟とは帰国早々の栄西が母を偲んで建てたものだろう。
彼はここに南宋から携えてきた青体竜王の塑像を祀った。c0033992_18261957.jpg

日本で初めての禅寺『扶桑最初禅窟』
安国山聖福寺が建立されたのが建久
6年でした。
栄西はその4年前の建久2年に東林寺
を開山しました。

*今も残る栄西の〈座禅石〉 
その4年前、唐泊の東林寺の庭の亀の甲に似た石の上に座
する栄西。その眼下に博多湾。
背には灘山、海を隔てて右に毘沙門山、正面に能古島・・・
この地から東にのびる日本の国を捉えていたのかも。

「仏法東斬の風は、いつも西から東へと吹いている・・・」と著者
は書いています。

トップの写真は、栄西が禅定したとされる座禅石の角度から
見える景色です。正面に見えるのは能古島・・・

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by hanataikoku | 2007-02-19 12:16 | 北崎の歴史を語る