北崎通信局

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五ヶ浦廻船の当時に思いを馳せて・・・

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大勢の人が参列してくださった〈平和祈念〉を終え、唐泊漁港に移動
します。漁協の協力で船で能古島に渡るのです。

遣新羅使、遣唐使の時代から大陸文化がもっとも早く入ってきた唐泊。
そして北崎が最も栄えた時代、〈筑前五ヶ浦廻船〉
人々は、潮の流れや風に乗って移動していました。
自然の恩恵に感謝しながら北崎の港から大量の物資や人が日本の
あちこちに運ばれて行ったのです。
黒田藩の時代では残島(能古島)、今津、浜崎、宮浦、唐泊を総称した
筑前五ヶ浦廻船。
五ヶ浦廻船は筑前の米を江戸・大坂へ運んでいただけではなく、最大
二千石の船を操って北陸、東北、北海道を西回り、東回りと日本全国
を網羅する海運連合組織だったのです。
(廻船業者をまとめた津上家は北崎宮浦)


なぜ、北通が唐泊から能古島に〈平和の火〉をつなぎたかったのか。

そのきっかけは昨年行われたとある行事で知った〈ヘイヘイ節〉
多くの冨をもたらした海運事業ですが、そこにはまた大きな犠牲もあっ
たのです。
船に乗る主人の安否を気遣い、見送りそして迎える女性たちの思い・・

島には〈筑前五ヶ浦廻船〉当時の思いの形がまだあったのです。

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「筑前五ヶ浦廻船」津上のルーツ       中原 正哉 氏

毎年桜の季節に、半蔵門の「ふくおか会館」で“津上会”
という糸島半島の宮之浦を発祥とする在京の津上一統
の集まりが催される。
会長は津上毅一氏(元国鉄、 日本交通公社専務理事、
日本観光協会理事長)でせいぜい二十名位の集まりで
あるが、和気藹々それぞれの近況を確かめ合っている。.
 西日本新聞社刊の“筑前五ヶ浦廻船”(一九七六・一)
によれば、津上家は代々博多湾西部の北崎(宮之浦)に
在所し、江戸時代には唐泊、今津、能古島、今宿などの
廻船業者(五ヶ浦廻船)をまとめる大庄屋格であった。

その船団は黒田藩の米や材木を積んで遠く函館、酒田、
大阪、江戸まで交易をした事が書かれている。.
そのような先祖をルーツに持つ一統が集まるようになった
のは今から三十年位前。広い東京でお互いの顔すら知ら
ず暮らしているのはあまりに寂しいではないか、との会長
の呼びかけで集まりが始まった。.

 中原家は父(養子)、母とも津上家の女系からの血筋で
会員になっているが津上姓の人が多いのは言わずもがな
である。最初は系図作りから始まったが、会員の「大江戸
捜査網」や「太陽に吼えろ」等のシナリオライター横田勝弘
氏(ペンネーム 中野顕彰)の努力で室町時代まで遡って
いる。
 最近は会員の中で本を出版する人もおり、先述の中野氏
(ペンネーム 中野圭一郎)の実業之日本社刊「とがなくて
死す―忠臣蔵秘伝―」(二〇〇二・十二)や、前独立行政
法人経済産業研究所上席研究員津上俊哉氏(現東亜キャ
ピタル社長)の日本経済新聞社刊「中国台頭」(二〇〇三・一)
は出色の書である。

本家筋には津上製作所(現ツガミ)を設立した故津上退助氏
がおり、以前同社に勤めた津上健一氏はトッキ(旧津上特機)
という会社を興し、最先端技術の有機ELでは業界トップに
成長させた。

この他、ペンタックスのデザインで知られる工業デザイナー
津上尚也氏をはじめ大学教授、会社員、自営業など多士
済済の会員が集う。

荒海の玄海灘の船上で育まれた元気な血をDNAに、海の
波とはおよそ違うが、都会の荒波に立ち向かうよすが(縁)と
したい。
こんな思いを東京生まれの二世、三世に伝えていきたいと
いうのが会員共通の願いである。
(住友電設㈱代表取締役常務執行役員・福岡県人会評議員)
福岡県人会会報〈東京と福岡〉より
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by hanataikoku | 2007-05-16 13:46 | 地球温暖化対策