北崎通信局

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北崎リヤカー部隊

c0033992_1081196.jpg戦前の北崎の産業を支えてきた〈北崎婦人リヤカー部隊〉。
この歴史を教えていただきに、ぶどう園に立ち寄ったあと高橋文二さんのところに出向きました。

大正末期の頃から野菜を車力に積んでの〈野菜商い〉がはじまったそうです。当時の1日の売上3円はたいしたものだったそうで、これが時の婦人会の話題になり、「田島汽船」に交渉し、北崎婦人会の微章をつけて、博多大浜方面に出かけるようになりました。
そのときの婦人会は〈せり摘み〉して販売し、基金つくりをしたそうです。


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昭和に入り、その数も増し〈リヤカー〉による商いとなり、夏野菜や白菜、大根、甘藷などの出荷時には、1日70台を越える数となり、1日に2回も船で運ぶこともあったと・・・
このときの船の名前は〈栄久丸〉といいます。
昭和36年、福岡市と合併する時に作られた“北崎村史”を見せていただきながら、当時のお話を伺います。
午前3時ごろから宮浦港にリヤカー、牛車で運び込み“焚き火”をして出港を待ったと書いてあります。
“あきない”による収入は、北崎村民の生活を支える重要な1面となり、1年に200回もあきないに行く人もあったそうです。
この“リヤカーあきない”で、家を建てた女性もいらっしゃったようです。
現在でも、川端商店街の入り口に北崎の農産物をリヤカーに載せて商う光景は見られます。

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by hanataikoku | 2005-11-29 10:33 | きたざきの人たち