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北崎通信局

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北中だよりが届きました!

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*西浦岡にある〈道元地蔵様〉
地震の後地元の方の手で再建
されました。
道元がここに住んでいたので、
昔から〈道元邸〉と言われてい
ます。 

昨年のお参りの様子です!


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@@北中だより 48号から@@
校区の史跡・行事紹介 その15

北崎に神社仏閣や行事が多いわけ 
 高橋文二さんにお聞きしました


2月18日(日)北崎通信局のお世話で「北崎の歴史を語る会」が
唐泊の東林寺でありました。天野徳道住職の法話や北崎小6年
のようすけ君の発表の後、高橋さんから「北崎の歴史」について
語っていただきました。

一部を紹介すると、行事は1月だけでも初詣に始まり、船霊祭り、
ほうげんきょう、荒神様、西浦の十日恵比須、唐泊のえべす祭り
にどんたく、小田の初観音、骨正月(女正月)などがあります。
各地区には、道の三叉路などに庚申塚(猿田彦神)を祀る石の
塔があり、大事に祀られています。
これは災いが入り込まないようにとか、道を間違わない道しるべ
にもなっていて、人としても歩き間違わないようにとの意味も込め
られています。

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*お阿弥陀様のお接待
昨年の様子を過去記事からどうぞ!
 
町内の行事は人間の輪を作るもので、行事を通じてみんな仲良
しになる、弱か人も助けおうていこうというもの。
多くの行事は昔は少年団(今の子ども会育成会)がしていたもの
で、これからも子ども達に受け継いでいって欲しいと話されました。
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渡辺校長先生、まとめてくださってありがとうございました!
今でも地元では“庚申待ち”の行事は行われているのですが、
夜明かしの酒席で盛り上がるようですが最近は体力がついて
いけないとお嘆きの方もいらっしゃいました(笑

ところでみなさんは、人間の体の中に住む〈三尸(さんし)〉という
虫のこと、ご存知ですか?実は道教から来ているのですが・・・

庚申日」の夜、人の体内には「三尸(さんし)」という虫がおり、その人が
熟睡している間に天に上って、閻魔様さまの部下である「司命」に善悪
の報告をするそうです。
大きな罪は300日、小さな罪の場合は3日命が奪われる、とされます。

ということは庚申日ごとに常に徹夜をして眠らなければ、三尸は天に
上って司命に人の罪過を告げることができません。
だから庚申の晩には身を謹んで夜明かしをすれば長生きをすることが
できる、とする信仰でこれを「庚申信仰」といいます。

やがてこのような信仰をする人たちが集まり、庚申講と呼ばれるように
なり、青面金剛など崇拝対象の前で勤行をするように変わってきました。
このような行事を「庚申待(こうしんまち)」といいます。

江戸時代には庚申講は各地で行なわれるようになり、60日に一度の
庚申待を年6回で3年連続して18回実施すると、供養のために庚申塔
や庚申塚を築くことが一般に行われるようになったのです。

いまではほとんど行われなくなりましたが、戦時中は集会を禁止されて
いたため、宗教上の行事としての庚申講を行なうことで集会の代わりに
なっていたようです。
「お話は庚申さま」という言葉から村の諸取決めは庚申講でまとめていた
ことがわかります。  ー常識ポテチよりー
*庚申の年は60年に一度あり、最近では1980年(昭和55年)が
 庚申の年でした。


地元ではあまりにも古くから続く行事が多いので、その由来を語ることが
出来る人がほとんどいなくなりました。
北崎通信局はこれから少しずつですが、地元の行事の掘り起こしをして
行きたいと思います。
by hanataikoku | 2007-02-22 10:03 | 北崎の歴史を語る