
なぜかこの写真だけが真っ白になってしまいました。
島についてすぐに撮った写真です。
逆光だから?でも他の写真は大丈夫・・・

島の対岸の渡船場に迎えに来てくれて
いた組長が言っていました。
「さっき、唐泊で今井さんと別れるときに、
お日様の周りには大きな輪が出てい
ましたよって彼が教えてくれたよ。
お日様の周りに輪ができるときは、
天の神様が喜んでくれているんだそう
だ・・・」
写真は
金沢の太陽の輪
唐泊から能古島まで〈平和の火〉を運んでくれるのは、北崎小学校
2年生のちひろちゃんとお母さん。
おじいちゃんは〈平和祈念〉をしてくださった老僧で、お父さんは見湖山
徳門寺のご住職。唐泊山東林寺も前住様が地震直後にお亡くなりに
なった後、兼務なさってくださっています。

東林寺檀家総代の正信さんに乗せてきていただいた船が能古の
港に着きました。
例年だったら目が覚めるような博多湾の真っ青な海と空・・・
大陸から風に乗って流れてきた汚染された大気で曇っています。
太古の昔は、大陸文化がこの海を渡ってきました。
現代の海は、大量の漂着物(ごみ)と、空からは汚染された空気。

海の神様は女性なので、よほどのことがない限り女性が船に乗る
ことはできません。しかし今日は特別に・・・



今回、能古島に〈平和の火〉を持って行きたいというお願いを実現して
くださったのは、JA福岡市能古支店の支店長さんでした。
「支店長は組長に良く似とんしゃぁもんね」(おたまちゃん談)

私たち一行を出迎えてくださったのは、昨年ももちパレスでお目にかか
った藤瀬先生。
北崎の西浦の西亨先生やうめかさんのお友達でした。

今朝の西日本新聞の記事に大きく取り上げられています。
(残念ながらまた北崎のことは一言も載りませんでしたが・・・)

62年前、広島の町で亡くなったおじさんの遺骨の代わりになにか
形見になる物をとチョロチョロと燃え残る戦火をカイロの灰に移し、
故郷の星野村に持ち帰り、原爆の後遺症で苦しみながら亡くなって
いった従兄弟。
「おじさん、おひさしぶりです。良く来てくださいました。」
北崎から能古まで、どうしてこの火が届くことになったのか・・・
「どう考えても不思議なご縁ですね、心から感謝します」と藤瀬先生。

島に古くから伝わる〈ヘイヘイ節〉
哀愁を帯びたメロディと歌詞です。
島の奥さん方が、当時の片田舎の島では考えられないほどの豪華な
お引きずりの着物を着て、船で港を出て行く夫の航海の無事を願い
踊って見送る。
また航海を終えて戻ってくる夫の無事を喜び、踊りで迎える・・・
その当時を偲ぶ踊りと歌を残していこうと活動している藤瀬さん。
星野村のご出身だと言うことは聞いていたような記憶があります。
だけど、まさかこの〈平和の火〉の山本さんの姪だったなんて・・・
*平和の火と列島リレーのエピソードは
こちらから

ちひろちゃんが、〈北崎からのメッセージ〉を読み上げます。
故山本さんの言葉です。
「今や原爆さえおもちゃのようになっている恐ろしい時代です。
人間同士が殺し合うようなやぼなことはもうやめてほしい。
人間はみんな同じ。肌の色の違いなんて関係ないでしょう」
「平和の火と環境がどうして結びつくんですか?」
福岡市庁舎に〈北崎のメッセージ〉を届けた時に待ち受けていた
若い女性記者のぶしつけな言葉に、説明する気力さえ失せました・・・
おまけに、同じ会社の男性は「えっ、園児がいっぱい来るんじゃなかっ
たの?たったこれだけ!」って舌打ち(爆
地震1周年の時には北通はずいぶん協力しましたけどね(笑
プレスリリースの書き方が下手だった北通が悪かったのかなぁ
だけど、とても丁寧に取材してくださった社もありましたよ・・・
会社じゃないですね、やっぱ人ですね!